2007年12月 9日

ラルフに引導が。

ラルフ・シューマッハ―いわずと知れた7Times Champion・ミハエル・シューマッハの弟。

ラストチャンスと言われたヘレスでのフォースインディアのトライアルでも、スピン2回を喫し、同じマシンで走ったリウッツィにも0.7及ばず20人中20番手。遂に本人も「2008年にフォース・インディアのレースドライバーとして活動することは僕のプランには入っていないんだ」「今回のテストはヴィジェイ・マルヤとの約束を守るために走ったんだ」と負け惜しみにも似た言葉と「もうF1には乗らないかも知れない」という、引退宣言を口にした。

兄・MSも「かなり昔にラルフに言ったことがあるんだ。"人生にはほかにも楽しいことがたくさんあるんだよ"ってね」とコメントして、弟に引退を勧めた。人外なほどに悪くて強いと言われた兄とは違って、地味なままF1を去ろうとしている。

やはり3年前のTOYOTAへの移籍が彼のキャリアを閉ざしてしまったと思われる(その代わりに彼の懐には大きなモノをもたらしたが)。まだあの時点では他のチームへのドアは開いていたと思うのだが‥‥。

そもそもF1に限らずモータースポーツというものは「最適なときに最適な場所にいるかどうか」と言う要素がそのドライバーの人生を大きく変え、ドライバーだけでなくモータースポーツ史自体を大きく変え続けてきた。

82年、ケケがウイリアムズでチャンピオンを獲得したが、コレはフォークランド紛争で当時ウイリアムズのNo.1だった、カルロス・ロイテマンが引退(イギリスチームに戦争している相手国のアルゼンチン人のドライバーが乗っていられるわけもなく)、チャンピオン候補のフェラーリではジル・ヴィルヌーヴが事故死、終盤戦までポイントトップを走っていたディディエ・ピローニも事故で両足を複雑骨折してF1から引退―。昨年までフィティパルディなどで予選を通過することにさえ苦心していたケケがわずか1勝でチャンピオンを勝ち取った。
もしちょっとだけ移籍タイミングがずれていたら、チャンピオン2世としてサラブレッド的な扱いを受けているニコの運命も違っていたかも知れない。

それ以外にも、もし、シューマッハがフェラーリに移籍しなかったらとか、ピーターソンがロータス78でなく79に乗っていたらとか、セナの死後、ウイリアムズにプロストが復帰していたらとか‥‥そもそもセナがウイリアムズに乗らなかったら‥‥。

全ての「if」が現実の出来事じゃないから、今があるワケなのだが‥‥。

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