2007年11月17日

一貴とカムイと平手晃平

去年の秋までTDP日本人ドライバーの序列は平手晃平、中嶋一貴、小林可夢偉だった。

2001年、一貴がFRTSスカラシップに落選したとき、平手は見事スカラシップを獲得した。
2002年、一貴がFRTSスカラシップを獲得したとき、平手はFT(=フォーミュラTOYOTA)最年少優勝を飾った。
2003年、一貴が国内でFTを戦っているとき、平手はイタリアでフォーミュラルノー2000に参戦。初優勝を飾った。
2004年、一貴が全日本F3を戦っているとき、平手はイタリアでFR2000で6勝し、ランキング2位に輝いた。
2005年、一貴が全日本F3を戦っているとき、平手はユーロF3に参戦、表彰台を獲得した。
2006年、一貴がユーロF3で初勝利、ランキング7位だったとき、平手はランキング3位だった‥‥。

これまでのキャリアで何度か交錯している一貴と平手だが、年齢の若い平手が常に一貴の前にいた。

だが、2006年11月8日、TDP三銃士のオーディションので、一貴がウイリアムズのテストドライバーの座を得た時から流れが変わりだした。一貴はウイリアムズチームの中で居場所を作り、また、2007年のGP2では優勝こそならなかったモノのランキング5位、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。平手は意見の合わないチームで苦戦、ランキング19位に沈んだ。

そして、2007年の秋、一貴はウイリアムズで日本人初の親子F1レギュラードライバーの座を獲得、TOYOTAのサードドライバーの座はユーロF3から小林可夢偉が射止めた。

残る平手は来期の体制も決まらぬまま、先日フォーミュラニッポンのルーキーテストを受けた。
レースの本場、ヨーロッパから日本へ逆戻り。「F1に最も近いカテゴリ」のGP2から、「ファーイーストの独特なフォーミュラ」であるフォーミュラニッポンへの移動。本人も含め、ほとんど全てのヒトがステップダウンと見ているだろう。
可夢偉はFルノー2.0で欧州王者を獲得している(2005年)し、一貴は英語も堪能でウイリアムズ好みの賢いドライバーと言うこともあるのだろう。ヨーロッパから去らざるを得なくなった平手には何が足りなかったのだろうか?

TOYOTAはキライだが、TDPのドライバーは応援していただけに残念な出来事だ。
それでもくじけずにフォーミュラニッポンで頑張って欲しいと思う。
彼はまだ21歳。時間もある。
久々にフォーミュラニッポンでトップを獲ってF1に進出する日本人ドライバーが現れてもいいではないか。

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